高橋尚子のマラソン戦績と、チームQ以降の高橋尚子
1997年 1月 大阪国際女子マラソン 7位 2時間31分32秒
1998年 3月 名古屋国際女子マラソン 優勝 2時間25分48秒 当時の日本最高記録
1998年12月 バンコク・アジア大会 優勝 2時間21分47秒 当時の日本最高記録
2000年 3月 名古屋国際女子マラソン 優勝 2時間22分19秒 大会記録
2000年 9月 シドニーオリンピック 優勝 2時間23分14秒 五輪金メダル獲得
2001年 2月 青梅マラソン(30km) 優勝 1時間21分57秒 当時の日本最高記録
2001年 9月 ベルリンマラソン 優勝 2時間19分46秒 当時の世界最高記録
2002年 9月 ベルリンマラソン 優勝 2時間21分49秒
2003年11月 東京国際女子マラソン 2位 2時間27分21秒
2005年11月 東京国際女子マラソン 優勝 2時間24分39秒
2006年11月 東京国際女子マラソン 3位 2時間31分22秒
2008年 3月 名古屋国際女子マラソン 27位 2時間44分18秒
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2005年5月、リクルート時代から約10年に及ぶ小出との師弟関係を解消。2005年6月、ファイテンと2009年5月までの4年間の所属契約を結んだ。なお同社陸上部とは別に「チームQ」として活動。
2005年11月20日、「2005東京国際女子マラソン」に出場。左ふくらはぎ肉離れがあるなど体調は万全ではなかったが、2時間24分39秒でゴール、2年ぶりのマラソン復帰レースを優勝で飾る。2006年11月1日には、1年間の期限付きで母校・大阪学院大学の特任教授に就任。
2006年11月19日、「2006東京国際女子マラソン」に出場したが、右足ふくらはぎに抱えた怪我もあり3位という不本意なフィニッシュとなった。本来なら調整ミスのため不参加の決断が適切だったと思われたが、スポンサーとの関係などのため強行出場だった。
しかし重要な大会を前に毎回何かしらの故障を起こす現状に、チームQ、ひいては本人の自己管理の甘さを指摘する声が陸上界で挙がった。翌2007年3月11日の名古屋国際女子マラソンへは欠場したため、同年9月2日に開催される世界陸上大阪大会女子マラソンの出場を断念。
2007年8月1日にアメリカ、ボルダーで右膝関節の半月板を半分切除する内視鏡手術を受ける。(高橋尚子はこの事実を名古屋国際女子マラソン終了まで、明かさなかった。)
2008年北京オリンピック女子マラソン代表入りは、その後の国内選考レースで挑戦する事となる。どのレースに出走するかが注目されていたが、手術の影響もあるため、2007年11月の東京国際は回避、2008年1月の大阪国際もエントリーせず、2008年3月9日の最終選考レース、名古屋国際女子マラソンに出場したが結果は27位に終わり、五輪代表への道が閉ざされた。
名古屋のレース終了後の記者会見で「私にはまだやるべきことがある。まだまだ走り続けたい」と、現役続行を表明した。
愛称の「Qちゃん」は、リクルート陸上部の新入部員歓迎会においてアルミホイルを使ったボディコン風の衣装を着て『オバケのQ太郎』の歌を歌い盛り上がったことに由来するものである。また、このパーティーの際に、オバケのQ太郎の仮装をしていたという話もある。
母のはとこにノーベル化学賞を受賞した白川英樹がおり7親等にあたる。
2000年、国民栄誉賞 受賞
2000年度JOCスポーツ賞最優秀賞 受賞
座右の銘
「何も咲かない寒い日は、下へ下へと根を伸ばせ。やがて大きな花が咲く。」
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